人生をやり直したい?
過去に戻って人生をやり直したいと感じたことはあるだろうか。もしあるとしたら、具体的に戻りたいと思う過去とはいつのことだろうか。
現状に限界を感じ、不可逆に進む時間を呪い、もはや取り返しのつかなくなった過去の選択を後悔する。あのときに戻れたらどんなに良いか、と思うようになる。この曲の一人称、”I” はそんな人物だった。自分の生命の灯火が消えかかっている最期、歌いながらただ祈ることを選んだとき、彼に不思議なことが起こったようだ。意識が時空を越えて、過去の自分に接触した。この曲の二人称、”You” は、”I” にとっての過去の自分。逆に “You” の目線で読めばこの曲は、未来の自分が時を超えて語りかけてくるものとなっている。
君は可能性やエネルギーに満ちたかけがえのない存在だ。 あり得たかもしれない他の自分となんて、比べなくていい。 今の君は、僕が立ち帰りたいと思った原点なのだから。(by 未来の自分)
過去の後悔というネガティブな切り口から、このように非常にポジティブなメッセージにたどり着く。時間の逆行というからくりがそれを可能にしているため、まるで映画『テネット』を観ているかのような気持ちで歌詞を分析した。
ぜひ最後までお付き合い下さい。
アーティスト・曲紹介
Coldplay はイギリス(ロンドン)出身のロックバンドです。1997年から活動しており、2000年リリースの1st アルバム「Parachutes」から最新の9thアルバム「Music of the Spheres」までの9枚全てが全英アルバムチャートで1位を獲得している(歴史上初)という、異次元の成功を収めているバンドです。アルバムの総売り上げ枚数は1億枚超えだそうです。音楽性はオルタナティブ・ロック(初期は特に U2 や Radiohead の影響が大きい)を土台にしつつ、エレクトロニカやクラシックなど多彩なジャンルを融合させており、アルバム毎に全く違ったサウンドを切り開いてきました。
今回分析する『Clocks』は2002年にリリースされた彼らの2ndアルバム、「A Rush of Blood to the Head」に収録されている曲です。当初この曲は次の3rdアルバムに収録される予定でしたが、デモ音源を録音しこの曲の特別さを感じたメンバーたちは、この曲を2ndアルバムに加えるため発売予定日を2ヶ月伸ばしました。アルバム内で唯一ピアノリフが繰り返される曲であり、Museからの影響も受けた曲だそうです。
歌詞の対訳
Verse 1
The lights go out and I can’t be saved
0:34~0:49
Tides that I tried to swim against
Have brought me down upon my knees
Oh I beg, I beg and plead, singin’
灯火が消え、もう助かりそうにない 潮の流れに抗おうとしても 押し流されて、跪いた あぁ、僕は乞い願う、歌うことで
Come out of things unsaid
0:50~1:04
Shoot an apple off my head, and a
Trouble that can’t be named
A tiger’s waitin’ to be tamed, singin’
語り得ぬものから飛び出して
撃ち抜いてくれ、僕の頭上の林檎を
名状しがたいトラブルを
トラを今にも飼い慣らす、歌うことで
Chorus 1
You are
1:05~1:19
You are
君は…
君は…
Verse 2
Confusion never stops
1:33~1:48
Closin’ walls and tickin’ clocks, gonna
Come back and take you home
I could not stop that you now know, singin’
混乱は止まらない 立ち塞がる無数の壁、急かすいくつもの時計の音 戻って君を家に連れ帰そう 君は知ってしまうんだ、歌うことで
Come out upon my seas
1:49~2:03
Cursed missed opportunities, am I
A part of the cure?
Or am I part of the disease? Singin’
僕の海に浮かび上がる 後悔している選択、失った機会 僕は、癒しになれているのか?それとも 僕こそが病となっているのか?歌うことで
Chorus 2
You are
2:04~2:32
You are
You are
You are
君は…
君は…
君は…
君は…
Bridge
And nothin’ else compares
2:33~3:01
Oh, nothin’ else compares
And nothin’ else compares
比べられるものは、何もない
比較対象など、何もない
比類ない存在なんだよ
Outro
Home, home, where I wanted to go
3:30~4:15
Home, home, where I wanted to go
Home (You are) home, where I wanted to go
Home (You are) home, where I wanted to go
家、原点、僕が帰りたかった場所さ
家、原点、僕の立ち帰りたかったところだ
家、君は原点にいる、僕はそこに帰りたかった
家、君こそが原点、僕の立ち帰りたかった存在だ
歌詞分析
タイトル「Clocks」について
時計を意味する。Clock ではなくClocks と複数形なのは描かれる時間軸が一つでないことを示唆する。現在、過去、未来が混ざって描かれていたり、あるいは時間の流れが逆行して描かれたりしている可能性を考えるきっかけとなった。普通、何も情報がなければ、歌詞の物語は時系列に沿って書かれているものとして読み始めると思うが、この曲ではそれが真逆であるようだ。Verse 1 で自分の最期を悟った主人公は、歌い祈ることで意識が時間を逆行し、過去の自分と接触する。Outro は自分の原点と出会えたところで終わる構成となっている。
時の概念と海の比喩
時間の性質や過去のあり方に関して、海の比喩が Verse 1, 2 の両方で用いられている。後ろを振り返ったとき、今までに自分を通り過ぎていった時間、過去のすべてが、巨大な海として眼前に広がっているようなイメージである。Verse 1 では肉体にとって時の流れが不可逆的であることを、泳ぎでは逆らえない潮の流れに喩えている。Verse 2 では過去の過ちや、掴めずに見過ごしてしまったチャンスのことを、「海に浮かび上がってくる」と表現し、除去したいがいまさらどうすることもできない様子を表している。
また、Verse 1 に唐突に出てくる「トラ」だが、これは陸上の獰猛な生物の代名詞であり、主人公が現実を生きる活力の象徴と捉えられる。「トラ」は海に連れて行くことはできない。主人公は現世でこれ以上足掻くことをやめ、歌い、悟り、精神的な世界で時間の旅に出る。
登場人物について
人称代名詞 “I” と “You” が登場するが、すべてを自分だと解釈した。”I” と “You” では存在している時間が異なり、さらに Verse 2 の “You” と Outro の “You” も時間が違うのではないかと考えた。その最大の理由は Verse 2 の「Come back and take you home」というフレーズにある。Outro では “You are home” と結論しているが、Verse 2 では “You” は「take you home」される存在、つまり “home” にいない存在として描かれていることに注目し、次のように考えた。
終盤の Bridge や Outro に神秘性を帯びさせているのは、Outro の “You” が “I” にとって唯一無二の “Home” であるという事実だろう。そうすると Outro の “You” は “I” の干渉によって家に連れ帰られるたのではなく、最初から家にいて “Home” そのものであるような存在が妥当である。したがって、Outro の “You” と Verse 2 の”You” は異なるものとして扱うべきだろう。
この解釈に立つと、You(Verse 2) に対して You(Outro) はさらに過去の存在だと考えられる。You(Ourto) 目線で言うと “I” が遠い未来の自分、You(Verse 2) が少し先の未来の自分であり、二人の未来の自分が合流して Chorus 2 以降一緒に語りかけてくる、という展開として読むことができる。
こう読むと、Chorus 1 に対して Chorus 2 の分量が単純に2倍になっていることや、Verse 2 からメロディラインにハモリが乗ってくるといった音楽的な展開も、ストーリに合わせた工夫とみることができる。
作詞プロセスの想像
自分なりに想像した作詞プロセスのうち、根幹に関わる部分だけを記録する。他はまたいずれ追記したいと思う。一旦寝かせておいた方が、理解が深まりそう。
時間の矢
頭の上の林檎を射抜くのは、スイスのウィリアム・テルの伝説の引用である。役人を怒らせた猟師のテルが、罰として自身の息子の頭上に置かれた林檎を弓矢で射抜くよう強いられたというエピソードである。弓矢のモチーフを時間の文脈で登場させ、「時間の矢」をふまえたストーリーを展開する準備を整える。
「時間の矢」とは、時間が進む向きを決定づけるような現象のことであり、物理的観点ではエントロピー増大の法則などが該当し、心理学的観点では記憶がそうである。珈琲とミルクが分離した状態である時点は、混ざった状態である時点に対して過去だとわかるし、未来の記憶は持ちようがなく、記憶にあることで過去の出来事だとわかる。裏返して言えば、これらの現象をもとに我々が勝手に過去と未来の方向を決めているだけであって、時間それ自体には明確な進む方向などない。
物語の開始点を主人公の最期に設定し、そこから遡り、現在の自分に行き着くように描く。
未来の自分にとっての過去として、現在の自分を見せる
時間の流れを一方向にしか捉えられないと、無数にあったはずのチャンスを逃してしまった自分や、間違えた選択肢の取り返しのつかなさや、老いに対する無力さなど、絶望を感じさせる事実ばかりに囚われてしまう。
しかし、俯瞰的に見れば時間に決まった流れなどないのだから、未来から過去に向かって進むベクトルを眺めることが可能である。そうすることで、希望に満ちた着想が得られる過程を描く。
現在の自分は、このさき死ぬまでの全ての時点にいる未来の自分にとって、もっとも若く、多くの可能性を抱えた存在である。そして、未来の自分はいまここにいる現在の自分以外からは派生のしようがなく、自分が彼らの唯一無二の起源であることに気づく。
ちょっと感想
むずかしく、分析に時間を要した。ミュージック・ビデオの情報量が少なかったのも、解釈を絞るのに苦労した理由の一つだった。Coldplay は圧倒的なメロディやサウンドの力だけでどんなリスナーの心にでも染み渡る素晴らしさがあるため、歌詞を難解にしても聴いてもらえるという特権があるなと感じた。これは邦楽だとスピッツなどに通じるものだと思う。Copldplay は R.E.M. からの影響も受けているのだそうで、文学的・哲学的な表現のルーツはそこにもあるのかもしれない。R.E.M. も改めて深く聴いてみたいと思った。
以下自分用のメモ
- テーマ:後悔→希望、肯定
- アプローチ:不可逆的な時間、狭まる選択肢(の反転)
- 拠点:未来からの目線、可能性に満ちた現在の自分
- 時計、海、矢
コメント